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結界

  • ryo suzuki
  • 11月13日
  • 読了時間: 3分

地亭での庭づくりは仕事の合間に牛歩のごとく進んでいる。

夏も終わりかけ涼しくなり始めた頃よりケモノたちの動きが活発になってきた。

その大半は猪だと思われたが、こつこつと作業をした場所を狙ってリセット(掘り起こ)していく。

獣が嫌う自然素材由来の忌避剤も当初は効いていたが、数か月も経つと慣れるのか克服するのか我関せずという具合にやられていく。


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その他ケモノたちが嫌がると言われるものを試しても、ある時期がくると無意味となっていく。

寧ろそれらを施した箇所は好奇の対象となるようで、やればやるほど逆効果となる日々が続いたのである時からやめてみた。

ケモノたちが土をリセットする場所には共通点がありその過半は土中に棲む獲物を狙ってのことかと思うが、普段は無人で数日おきに作業をしに来るような此処は絶好の遊び場となっているのだろう。

ケモノたちと共存する現状では自ずと彼らとの知恵比べで庭がつくられていった。


見上げる雲までもがケモノに見える
見上げる雲までもがケモノに見える

そんな折に結界という言葉が浮かぶようになってきた。

「結界」

神前や神事の場に張りめぐらす注連縄、祭の場を囲う幔幕のように聖域と俗域を分かち指し示す境界線、またはその境界線により結ばれた空間を結界と呼ぶ とある。

つまり結界成りえるものは堅牢な建造物などである必要は無く、結界に対する人々の想いが単なる縄や幕を、容易には越えがたい存在として結界たらしめている。

またあらゆる場において神々が棲んでいるとする古来からの日本文化は、人が住まう村落においても結界が成り立つものとされていたらしい。


村落の結界は

「家(イエ)」

「村(ムラ)」 家々が群がる定住地

「野良(ノラ)」田畑など耕作地

それらの外域である

「原(ハラ)」未耕作地、「山(ヤマ)」「海(ウミ)」木材や魚介類採取地

の四層に分かれるものだったそうな。


そこでのイエやムラは生活の場であり秩序のある俗域とされており、ヤマやウミは非日常の聖域でありかつ祖霊が赴くあの世(他界)とされていた。

そして聖なる他界から人々に幸福や豊穣をもたらす神がムラやイエに訪れる。

春の祭りにヤマからおりて「田の神」となり、秋の祭りに再びヤマに戻る「山の神」。

種籾に宿る「稲霊」は春にはイエから田へ、秋には田からイエへ戻る。

さらには盆正月には他界にある祖霊や神霊がムラを訪れ帰ってゆく。

このように村落の結界は季節や生死の巡りと、ヤマ・ウミなどの場が有機的に結びついた人々の生活文化の礎となるものだった。 参考「日本の美と文化より」


話は戻り、地亭はムラの一角であり今後は暮らすためのイエが建つ。

そして地続きで田(ノラ)と山林(ヤマ)に繋がりながら神社もある。

こうして改めて地亭を眺めるとヤマとイエの境界につくった水みちが結界であり、そこにはヤマからのしぼり水が流れ(水の神)田に注がれて(田の神)やがてはイエへ戻りヤマに帰る(山の神)。


ケモノたちはヤマからイエに遊びにくるのだが、そこには簡単に超えられる結界(水みち)しかない。

仮に堅牢な結界をつくったとしてもそれは結界では無く障害物であり、それすらも早晩破られよう。

そうであれば結界を超える時には僕らヒトは「トオリマス」と一言つぶやくことで、ケモノたちは何かしらのケモノノカンが働くことで、自然と気が変わってゆく結界が理想だ。


それを叶えるには荒廃したヤマをケモノが棲むイエに戻していくのがよいと思うがどうだろう。

地亭の周囲を囲んでいる放置林にたいして「整備」という一方通行であった考えが、水みちを通したことで「結界」というものを意識するようになり、ヒトを含めた動植物にたいして常に往来するような考え方が身に染み入るようになってきた。

今後の庭(亭)の有りようも変わっていきそうだ。


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