小動物たちの建築=巣づくり
をみかけるたびに、その自由さ、潔さ、絶妙なバランス、周辺に馴染んださまに感動することが多い。
彼らとしては外界の猛威から身を守り、種を存続して生き抜くために、ただひたすらつくっているだけなのかもしれないが...。
彼らの巣づくりは主に身の周りにあるものでつくられる。
土や小石や木の枝、植物や貝殻、時には人間が捨てたプラスチック片なども巧みに用いてつくる。
自然界は人間社会よりも大らかで厳しいルールがありそうだが、彼らはそれに則してつくり続けているようにも思える。
翻って人間のつくる建築はどうか。
きっと建築の起源は巣づくりに近いものだったのだろう。
そして同時にその時の人間は、動物分類学上のヒトと呼ぶのに相応しい状況だったのかもしれない。
人間のつくる建築
ヒトがつくる巣
このあたりが着想となり 「土巣 tsuchi-su」 と名付けたものをつくることになった。
巣をつくるヒトは住まい手を中心に地域住人を集い、「結」による作業で進めることにした。
素材は現場のある千葉県長南町の地場材を用いることにして、まずは骨格となる竹を同町の竹林から伐採採取することから始めた。
伐採後、割竹に加工していく。竹木舞と同じ工程だ。
次は割竹を包む荒壁土を仕込むために、同じく同町の休耕田の土を採取して運搬する。
現場の前に仕込みのためのプールをつくり、春先から冬まで稲わらを入れて人力で攪拌していく作業は、着工前から地味に続けられた。
初秋となりようやく現場が着工しても仕込みは続いていく。
ひと夏を超えた頃から大量の稲わらが溶け発酵した田んぼ土は、次第に粘りのある荒壁土となっていく。
そして現場も終盤となる年末、いよいよ土巣に着手となった。
ところで自然界にある巣は整形な矩形は無くいびつな形状が多いが、何故か絶妙なバランスを感じる。
そのあたりを目指すべく、外形は左右非対称の楕円形の筒型とした。
まずは大工が間柱を建て、そこに沿うように割竹を留めていく。
以降は職人と結との共作となった。
割竹を留めていく結の作業は最初こそ試行錯誤しながらのぎこちなさがあったが、コツを掴んでからはまさに集団による巣づくりを彷彿するものとなった。
作業が終わり竹に包まれた巣を前に 「このまま(割竹アラワシ)でもよい」 と、皆同じ感想をもつ出来となった。
そして最後の工程となる荒壁仕舞いは、巣づくりの感覚が覚めやまぬ翌週とした。
まずは鏝を使い割竹面にしかと荒壁土を食い込ませていく。
鏝に慣れていない参加者も多かったが、左官職人のレクチャーのもと懸命に塗っていく。
鏝塗りの後は、塗りたての土の上に素手で稲わらを伏せ込んでいく。
いつしか眉間のしわも消えて、口元から笑みが見えるようになり、夢中で手を動かしていく。
このあたりから 「人間の作業」 ⇒ 「ヒトの巣づくり」 に切り替わっていくようだった。
最後は稲わらの上に再度、荒壁土を素手で塗り押さえていく。
各自、内と外に分かれて目の前の壁を担当しての分業だったが、参加者の仕上げた壁は隣を観れば手跡の異なる不均一な壁が並んでいる。
それが左右非対称の楕円形として連続した時、小動物の巣と同様に絶妙な安定感を感じた。
この現場は土巣と同じ空間に、大工と左官職人による手技がちりばめられているが、ここに訪れた人はどのような感覚をもつだろうか。
そういえば小動物の中には自らがつくった巣に、貝殻や木の実などを飾る?ものもいるが、それになぞらえて仲間が集めた自然界にある拾い物やいくつかの穴を巣に埋め込んでみた。
引渡し後は指物家具と伝統工芸品が並ぶギャラリーとして日々賑わいをみせている。
来訪される人々を観察すると、自然と土巣に沿って回遊して、土巣の中に入ってしばらく留まり、また出ていく。
さながら回遊魚のようだ。
願わくば各々の中にある「ヒト」を呼び起こす巣となれば、つくり手冥利につきる。
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